シュレディンガーの猫は量子力学の話ですが、映画<君の名は>ではコペンハーゲン解釈ではなく、エベットの多世界解釈でストーリーが展開しています。
今月の話題はシュレディンガーの猫です。
シュレディンガーの猫とは、蓋のある中の見えない箱の中に、生きている猫、1時間以内に50%の確率で崩壊するラジウムとガイガーカウンター計、ガイガーカウンター計と連動して青酸ガスを発生する装置をいれ、1時間後、ふたを開ける直前には箱の中の猫は生きているか死んでいるかという思考実験です。
量子力学ではミクロの世界では物質は粒子でもあり、波でもある。とされています。これは、二重スリット実験という実験で、AB二つの穴が開いた板に向かって電子を飛ばしたときにその奥のスクリーンには何が映るかということから検証されます。電子を一つ打つとスクリーンには一つの点が映ります。センサーで計測すると、通った穴は一つのみで、ABどちらを通ったかは予測できませんでした。次にひとつずつ大量の電子を打つとどうなるか。当たった点がスクリーン上に増えていきますが、点は均一ではなく、波の干渉による縞模様を作りながら現れてきます。通常、波が二つの穴を通過すると、二つの穴から出たときに半円の波が二つでき、二つの波はお互いに干渉し重なりあい、重なった部分はより高い波になります。高い波の部分が縞模様として現れます。電子一つが穴一つを通っただけなら干渉はないはずです。観測では電子ひとつは一つの穴を通っています。同時に複数個打ってもいません。なのに、波の干渉模様が現れるのはニュートン力学では説明できません。
ミクロの世界では電子は粒子でもあり、波でもあると量子力学では考えます。一般的なコペンハーゲン解釈では電子は観測される前は波のような存在であるが、観測されると粒子になる(収束)。観測される前の波は粒子がどこで観測されるかの確率を表していて、一粒の粒子は観測されると一粒だが、観測される前は複数の場所に同時に存在しているとします。
シュレディンガーは重なり合って存在するミクロの世界の状態がマクロの世界でも成り立つ場合を考えるとそれはおかしいのではないかということで、この思考実験を提起しました。1時間後箱のふたを開けた時に猫は死んでいるか生きているかどちらかではあるのだが、ふたを開けて見たときに初めてすべては決定される。ラジウムが崩壊してミクロの世界における陽子が飛び出しているかどうかは観測されないと決まらず、観測される前は陽子は複数の位置に同時に存在する。猫も、生きている猫と死んでいる猫が同時に存在することになる。日常的な世界ではそれはあり得ないことだということです。
エベレットの多世界解釈では、観測者そのものまでもミクロの塊としてのふるまいを想定します。生きている猫を見ている観測者と死んでいる猫を見ている観測者が両方存在すると解釈します。
映画<君の名は>ではエベレットの多世界解釈で物語は展開されます。